余裕を取り戻して diary 2016年01月17日 0 おはようございます(朝になってしまいました)総会から1ヵ月が経ち、私は、憂鬱な状態を抜け出し、余裕が出てきて、かなり冷静に考えられるところまで戻りました。まあ、これも年末に「もうどうでもいい!」と思えるところまでお酒を飲んで忘れられたからでしょうか(元23Bのみんな、ごめんなさい)なんだか2015年は、「飲んでも飲んでも2日酔いにならない」というすごくありがたいスキルを得られた1年でした(だから、飲み過ぎたときの後悔があまりないです(注)スキーの一件は除く)最近、部長から臨時総会の件でLineが飛んできて、総会前の「運営の感覚」がよみがえり、今なら冷静に考えられるということがわかり、ちょっとぼんやり考えてみたら、なんかいろいろ整理がついてしまい…まあ、役に立つような事態になったら困るので、役立てないようにしてください…と、いうことで、2015年運営総括編スタート(バリバリ、非難される人(たぶん、1コ上の先輩たちと当時の部長)へ、先に謝っておきます。ごめんなさい。) 嫌な予感…的中2014年12月の段階で、その後の1年間についてほぼ予想が完成したことをよく覚えています。実際、ほとんどその通りになりました(当然、悪い意味で)ほとんどの物事は悪い方に転がり、よい出来事を思い出すことができません。サークル運営をしていた1年間は、「単位を取れれば、Cでも構わない」と思い、成績が悪いことをなんとも思っていませんでした。実際、すごく成績悪いんですけどね…そうするだけのメリットがあると当時は思っていましたが、今となってはもう少し真面目に勉強するべきだったと反省しています。裏を返せば、そうするだけのメリットなど存在しなかったということですが…確かに、今の自分にある技術と経験を持ってすれば、3月から配属される研究室で、どの研究室であろうと他の学部生と比較にならないレベルであることは確実です。実際、教授にマイクロマウスの話をした際には、質問攻めにあい、「うちの研究室なら活かせるから、ぜひ来て」と言われたこともあります。研究室選びのためにオープンラボによく行っていますが、正直、大半の研究室で技術が活かせて、すべての研究室で経験は役立つと思いました。ですが、それに見合うことは絶対にないレベルで、神経をすり減らし、時間を使い、努力した。ここで、ひとつ絶対的な自信があることがあります。「2014年12月の総会から2015年12月の総会までの1年間で、最も長い時間部室にいた」というのは確実です。前期で行かなかったのは、1Qの試験前の数日と2Q・後期の試験前の1週間くらいであった。夏休みもほとんど行ったし、後期も3Qの試験前までずっと行っていた。その後、部室に行く気力さえも失う事態となったが、それでも誰にも負けない。話を戻すと、2014年12月の時点で、「どうやら、製図が忙しくてM科の3年は、あまり部室に来ないのではないか?」という予想があり、もし当時の部長(M科)がそうなれば「自分1人が全力で立ち向かったところでMiceを運営することはできない」という考えを持っていました。ここで、「どうやら、考え方が合わない」ということが徐々に明らかになり、「このメンバーでMiceを運営することができるとは到底思えない」と考えるようになりました。かなり考え方が異なるが、その意見交換は全くスムーズにいかない…そんな状況では無理です。そこで、考えたのは、「Miceの運営から身を引く」ということです。当時の問題は、それだけでは解決しないという結論に至り、「Miceをやめる」という選択肢が浮上し、「副部長だけやめる」という選択肢はその後なくなります。まあ、結論としてはやめなかったわけですが、理由としては、「誘って入部した友達もいるし…」「1度、引き受けたわけだし、無責任」等、結局、「逃げ出すなんて、自分で自分を許せない」ということです。このときは、「まだ外部の人と関わりがなく、やめるならこのタイミングが適切だ」と思ったため、「やってみてから、やっぱり無理です」という事態が一番よくないという考えが強かったので、「Miceをやめる」というのには理由が足りず、憂いのために先に行動してしまったというのが本音です。これが1月くらいの話ですね…この頃は、不満はそのまま、不安は一切消えないという状態で、これがドバっとスキー合宿で、疲れていたから信じられないほど速く回った酔いで出てしまったような気がします…不安が現実に…4月になると入学式(学長表彰された団体は強制参加だったからね)、新歓、新入生への指導がはじまり、本格的な運営がスタートここで、先程の懸念が見事的中(悪い意味)部室に通う日々が本格化しました。まあ、こんな事態に備えるべく、SHライトレへの完全移行(これは大変だった)に伴う2年の技術水準の向上を目的に、「マウスをやろうぜ」ということで、何人かには、書き込み終わって、Lチカくらいしてもらいたかったんですが…勉強ができて、頭の回転が速く、新入生担当ってことで責任感を持って、マウスもがんばってくれる後輩にプログラムをやるまでマウスが進むように頑張って指導しまして…(はっはっは…勝手にこんなこと書いてやるぜ…)頭のいい後輩に教えるのは大変でした…(質問のレベルが高い)彼1人ががんばることになってしまって…本当に悪かったと思っていますが、私の単位を防衛してくれたすばらしい後輩なので、感謝してもしきれません(本当に、ありがとう)正直、彼がいなければ、今頃、留年が確定して、1コの先輩と当時の部長をめちゃくちゃ恨んでいたことでしょう…この頃の私は、「Miceをやめるなんてあり得ない」「成績、Cで十分だ」と思い、「Miceの活動をいかに楽しくするか?」などということを考えていました。今から考えれば、あの頃が一番、必死にやっていた気がします。まだ、精神的に余裕があり、コミュ力には不安のあった私ですが、「まあ、とりあえず、やってみよう」と思い、最初の一歩を踏み出せるタイプの人間なので…(こうなれたのは、高校のときの健全とは言えない担任のおかげだな…)「とにかく、Miceをよくしよう!」という意識は高かったので、それの障害となり得る動きには不満が溜まっていった時期でもあります。最終的に、一番信頼していた先輩への信頼が失墜し、内密に相談する相手を失いました…この頃から、ネット上で不満を吐き、何度か「よくないからやめよう」と説得されましたが、全く耳を傾けませんでした。(最終的に問題の本質を理解していると思われる人が現れるまで続きます)その後、後に全日本で2位になる先輩から「同じ代の人たちだけで飲みながら話してみたら?」と提案され、「最初で最後」の私のいる代での飲み会が開かれました。(その後は、役員+α程度しかない)「最初で最後」というのは、その後、その字のごとく、今後一切、そのような飲み会は開催されることはないと言い切れる状況になったからである。決定的な亀裂を生んだ学生大会夏休みには、新入生の指導から、フレッシュマンの指導に完全シフトしていた(前述の、優秀な後輩のおかげ)ので、自分の初DCマウスを作りながら、声をかけて、ちょっと話して、みたいなのの繰り返しでした。もうこの頃には、当時の部長と私の間で暗黙のルールが完成していて、「私の学科はクォーター制に移行して学生大会の直後に定期試験のあったので、マウスに関することはすべて私が統括し、学生大会は部長がやる」ということになりました。ですが、学生大会の開催はそんなに簡単なものではないので、1人でやるのは不可能です。当時の部長は、「仕事を振ってやらせるより自分でやった方が速いから自分でやる」というなんとも頭がよくないと考えつかないようなことを懸念される人でしたので、まあ、様子を見て、必要があれば手伝おうという気はあったので、できる範囲で協力したつもりです。そんな中で、私の代の中で、目に見えて、ギスギスした状況を生み、それを後輩に指摘されるという状況を、私は「私の運営の崩壊」と判断しました。こんな事態は避けたかったが、結果的にそうなってしまった。それまでの不満を一気に吐きだし、もう誰にも止められない事態となりました。こうなる可能性は1年前からわかっていたことです。このとき、私は、自分が部室に行くことをやめました。「そうするべきではない」と言われましたが、自分の意志は固まっていました。私には、そうならないようにする責任があったのです。その責任に対する行動です。目先のことにとらわれている場合ではないと判断したからです。そもそも、3Qの試験やレポートを理由に部室に行かなかったときですら、だれかに「3年生がギスギスしている」と指摘させないためにそうしたのですから…1週間では、時間は解決できなかったということです。1年間を振り返るとざっとこんな感じです。ここから、少し本質に迫ることを書いてみようと思います。運営に携わる者の選び方どうやら、本質を忘れて、つまらないことに固執する人が多いようなので、呆れてものが言えなくなるようなことを書きます。「サークル活動を継続的にしている人」忘れていませんか?あまりに基本的過ぎますよね?でも、一番大切ですよ…さらには、「任期中、サークル活動をし、きちんと運営できる人」ですね。運営には、サークルの「存続」と「発展」のため、努力しなくてはなりません。Miceの運営における根本的な矛盾先程、「運営には、サークルの「存続」と「発展」のため、努力しなくてはなりません。」と書きましたが、Miceには「自由に活動する」という活動理念を掲げています。しかし、これは、「Miceの存続と発展」と相反することです。サークルを存続させるためには、部員が必要です。また、活動してもらわなければいけません。サークルを発展させるためには、実績を積み上げ、部員を増やし、サークルを大きくしていかなければいけません。「自由に活動するんだけど、大会で成績を残して欲しい」ということになりますね。ここで、1つ、言っておきますが、これは運営に特化した場合の話です。運営に関わらなければ、自由に活動できた方がやりやすくていいと思います。このギャップを埋める方法としてMiceを創設した先輩によると「部員のモチベーションを上げて、マウスを作らせる」だそうです…すいません。自分にはできませんでした。なので、「せめてやる気のある人が円滑に制作が進むようにフォローし、マウスから逃れられないところまで進められるようにする」ということに注力しました。効果はあったみたいなので、モチベーションを上げられないと思ったら、やってみてください。個人的には、「かわいい女の子が応援してくれたら、がんばれそう…」と思うんですけど、理科大生には、「かわいい女の子と話す」というだけでもハードルが高すぎるので難しいですね…じゃあ、結局、役員はどう決めればよかったのか?これは、さっきみたいな軽いお話しでは済まないです。まず、部室に定期的に来る人を学年問わず、5~10人くらい候補に挙げて、考えろ!それで、役員にできそうな人を4人に絞って、責任感があり、信頼でき、リーダーシップを発揮してくれそうな人を部長にする。副部長は、部長と同じようにして2人選出(部長より個性は出せるから、よく考えること)書類とかに強そうな人を会計に…このとき、ちゃんと人間関係が円滑にいきそうかどうかはきちんと考えること。正直、私の代がダメになってしまった根本的な理由は、コミュニケーション不足だと思います。後は、コミュニケーションを促し、老害と呼ばれるようになったら、せめて害をなすことだけはしないこと。当時の部長へ9月でしたっけ?早めに次期役員役職が発表されていたので、実際に総会の日を迎えて、役員になる前に「Miceをよくするための熱い話」をしていたのをよく覚えているんでけど…全く、実行された覚えがないんですけど…正直、部長は適任だと思っていたので、あとはもう少し部室に来てくれれば、なんとかやれそうと思っていました…1コ上の代の先輩たちへかなり当てつけのような形になってしまったことは謝ります。まあ、これで、キチンと整理された批判ができたのでこういうことでした。自分の力でどうすることもできなかった問題が多数あったことをご理解ください。ここまで、遠回しの批判はたくさんしてきました。たぶん、歴代を比較すると、マウスの進捗状況としてはワーストクラスで似たような状態だったと思います。ですが、違いは上の代が強いか、下の代が強いかということがありますが、最大の違いは、部長に与えられた時間的余裕が圧倒的に違います。時間的余裕が与えた影響は大きいと思います。正直、私の代の部長は、製図がなければ、最低限、マウスを作って大会に出るくらいはしていたと思います。ですが、その時間がなかったわけです。これから、Miceを引き継いでいく後輩たちへ3年生になったら、自分の友達の3年生に教えるより、後輩のマウスを見て上げて欲しい。それで、師弟関係みたいになるといいんじゃないかな…それで、指導してもらった後輩は、教えてもらった先輩より速いマウスを作ったり、面白い機能のついたマウスを作って欲しい。エキスパートに来たら、戦うくらいがいい。師は追い越すためにいると思って挑んで欲しい。追い越すことが、Miceの技術の進歩だ。私も後輩に2016年は負けそうなので頑張らなければ…最後に本質的な問題についてすべては、私の代がまっ二つに中身が分かれていることです。それは、1年生からMiceにいた工学部の人たちと、2年生から入った基礎工学部の人たちで分かれていました。両方、一枚岩ではなかったですが…なんか微妙な関係性がずっと続きました。たぶん、気づいていた人もいたと思うんですよね…結構、露骨に出ていたので…1コ上の代の先輩たちには、一切感じられない内容なので、先輩たちは気がつかなかったのかもしれませんが…まあ、最終的にどうなるかはわかっていたので、なんとかしろって言われれば、それまでなんですけど…自分のことは、自分が一番よくわかっているので、自分自身の評価は極端な過大評価も過小評価もしていないはずです。その中で、冷静さを欠いていく自分もよく知っています。残念ながら、冷静さを取り戻す時間も余裕も最初からなかったのです。冷静でない自分には、こういった微妙な問題は解決できないんですよ。特に、コミュニケーションが不足していたため、解決の糸口すらつかめない…この状況では、事態が好転することはないですね…「みんな正しいけど、妥協ができていないから、うまくいかない」と言われたことがあります。正直、「自分は十分な妥協をしている」と思っていたので、心に突き刺さりました。「Miceのために、膨大な時間を費やし、部室に来ても自分の作業をするだけでなく、後輩も見て、それだけで十分過ぎるだろう」と思っていました。この1年で他人の評価が大きく変わって、だいたい悪い方向に変更されているけど、それを言ってくれた人はめちゃくちゃ上がりましたね(笑)あの頃は、「この1年、なんのためにがんばっていたのか全く理解できなくなった」と思い、「真面目に、自分の存在を抹殺したい」と思うくらい病んでいましたからね。「電車に乗ると線路に飛び降りたくなるから、大学行かない」なんてときもありましたし…今から考えても、中央線を止める一歩手前にいたんだと思います。まあ、「こんなことで…」と思う自分もいるから、今があるんでしょうね…高校のときの担任に、悪い形で、ちゃんと大学行って「北海道に1年行く」なんていう出会った頃にはあり得なことをしていた自分を知られるのは気に食わないからさ(笑)たぶん、これで、こんなネタはおしまいです。今後は進捗ばっかりだといいんですけど…正直、今は、「マウスつくる意義」を見失っているので、今年は機体ができるか怪しいです。 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